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内なる葛藤を開放するための誘導瞑想CD「はじめに」を読んで vol.2

内なる葛藤を開放するための誘導瞑想CD「はじめに」を読んで vol.2

内なる葛藤を開放する「はじめに」を読んで vol.1~vol.3

内なる葛藤の成り立ち

私たちは魂として、全員が同等であり、それぞれにとてもユニークな存在でもあります。

私たちは人間として、多くの共通点を持っています。

たとえば、外側の現実が望みどおりのものであるとき、私たちはおおきな満足を感じます。

逆に、その周囲の状況が自分の期待と一致しないときには、大きな不満や落胆を覚えます。

そのメカニズムは、私たちが内側で、地球上で生き続けるには外側の誰かに頼らなくてはならない、ということを知った瞬間からスタートします。

子供のころの私たちは、自分の身を守ることも、快適さを保つことも、自分以外の人間に頼らなくてはなりません。

必要とするものが自動的にすべて供給されていた子宮の中から、常に変化を続ける外側の世界への移動は、大きな環境変化であり、この事実にほとんどの人間は、誕生してから二、三ヶ月以内に気づくことになります。

つづいて私たちは、自分が欲しがっているものを手に入れるための方法を模索しはじめます。

そして、特定の方法が望む結果を持続的に発生させたとき、私たちの内側に、ある重大な認識が形成されます。

この種の認識は次第に数を増し、私たちは生後数年以内に、自分の行動をそれらの認識、すなわち生存戦略に徹底して導かせるようになります。

私たちはまた、内側の衝動と一致した外側の現実を手に入れようとして、自分が敬愛する人たちの生存戦略を取り入れることもします。

私たちが出会う人たちがみな、まったく同じ行動パターンの持ち主であれば、問題はおこりません。

しかし人々の行動パターンは千差万別です。

彼らの多様な行動によって、私たちの生存戦略はいやでも複雑化せざるを得なくなります。

そしてそのときから、私たちは内なる葛藤を獲得しはじめます。

複数の人間発達研究所が指摘していることですが、私たちはすでに五歳の時点で、この世界を生き抜いていくために用いることになる基本的な戦略の95%を学んでいるということです。

そして、十代後半あたりになると、もはや物事に対する意識的な反応をほとんどしなくなり、それまでに身に着けた生存戦略にほぼ完全に従って反応するだけの毎日を生きるようになります。

これはある意味、驚くべきことです。

しかし、皮肉なことに、私たちが本当にほしいものを手に入れる速度に急ブレーキをかけているのが、その最初の五年間に身に着けた生存戦略と、それが機能しないときに獲得してきた葛藤なのです。

自分が「正しい」ことは「愛される」ことと同じ

内なる葛藤のいちばんの源は、「正しくなければならない」という私たちの意識です。

私たちは一般に、生まれてから一年以内に、自分の面倒を直接みてくれている人たちを「喜ばせなくてはならない」という観念を発達させます。

これを私たちは、自分の生存と幸せの存続を、より確かなものにしようとして行うのです。

しかしながら、他者を喜ばせようとすることは大変荷の重い仕事です。

喜ばせようとすると通常、私たちは関係した人たちに対して、ときには受動的な、ときには攻撃的なといった一貫性のない態度をとってしまうようになります。

そして、自分がほしいと感じているものを手に入れるために、自分に内在する自然な才能を表現するのではなく、自分以外の人間が欲しがっているものを与えようとするのです。

私たちは一般に、自分が正しいことをしたときに褒美をもらい、正しくないときには罰を与えられます。

褒美をもらうことは誰にとってもうれしいものです。

一方、罰は、その大きさと持続時間に関係なく、私たちをひどく孤独にします。

「正しくなければならない」という意識は、私たちの「愛されたい」という必要性そのものなのです。

この世界において、私たちが「正しい」とされるのは

  • 周囲のひとたちの期待に応えたとき
  • 規定の標準に適格に従った行動をしたとき

正しかった結果として

  • 私たちは速やかに、受容、承認、支援等々の人的貨幣を、褒美として受け取ることになる。
  • 自分の幸せ -自分の肉体的、心理的、感情的安全に- にとって重要だと自分が認識した人たちから、仲間として受け入れてもらえる。

この世界において、私たちが「正しくない」場合

  • 私たちは批判され、拒絶され、幸せの源から隔離されることになる。

正しくなければならない

「正しくなければならない」という意識は、決してバランスの取れた人間をつくりません。

私たちが真の優雅さと尊厳を獲得できるのは、「正しくなければならない」という意識を放棄したときのみです。

この意識を放棄すれば、私たちは再び人間として正しく機能するようになり、明晰な思考とともに語ることができるようになります。

過去に捕らわれるのは、もうやめましょう

過去はもう過ぎ去っています。

そのままにしておくことです。

過去のどんな出来事を思い起こしたとしても、それによって真の満足を得ることはできません。

たとえそれが、どんなに好ましい出来事であっても同じことです。

それは単に、選ばれた思い出を強化し、その思い出にまつわる本当に欲しがっていたものの入手を妨害したかもしれない、あらゆる物語を再浮上させるのみです。

「正しくなければならない」という意識を放棄したとき、過去は善悪の固定観念が絡んだ多くの物語と共に、今の瞬間 -創造的な今- に敬意を表して離れていきます。

そして、そのときから過去は、イマジネーションによる産物と何ら変わらないものになります。

自分は自主独立した存在であり、それを統治する絶対的な権利を与えられている、ということをしっかりと自覚することです。

そうすれば、過去の事実は徐々にその重要性を低下させていきます。

なぜならば、この自覚を持っているときの私たちには、過去の出来事を用いて自分の有能さを吹聴する必要などまったくないからです。

過去の出来事は、今の自分の基盤となっているものに過ぎません。

私たちは、イマジネーションを用いて思い描いた未来の出来事を、自分の有能さを示すために用いることはできません。

過去も未来も、この意味では同じようなものなのです。

数多くの研究が明らかにしているように、特定の時期に関する記憶を喪失したひとたちの多くが、人生のその時期にどんなことが起こり得たかを想像してみるよう促された結果として、そのころの記憶を完璧に取り戻しています。

イマジネーションはもちろん、一般には未来を思い描くために用いられるものです。

しかしながら、過去を未来と同じようなものとして思い描くことができるようになったときから、私たちの人生は変わります。

そのとき私たちは、常に今の瞬間にいて、自分を完全で完璧な存在として認識できるようになっているからです。

人生の責任はすべて自分にある

内なる葛藤を効果的に開放するには、人生の細部に至るまで、その責任はすべて自分にある、ということを自覚しなくてはなりません。

あなたがこれまでに体験した、どんな種類の成功も、また失敗も、それを始動させたのはあなたです。

私たちは、人生とはどう生きるべきなのか、あるいはどう生きるべきではないのかの手本を、親、兄弟、姉妹、友人、クラスメイト、同僚、および様々な文化内の著名人、権威者たちなどから示されます。

しかし、あなたが物事の達成に失敗したときに、その責任を取ることができる人も、あなたがそれに成功したときに賞賛を浴びることができるひとも、あなた以外にはいないのです。

私たちは両親からこの人生を授かりました。

しかしながら、その人生をどのように使うかを最終的に決めてきたのは、私たち自身です。

内なる葛藤を手放すためには、自分に不愉快な体験をさせてきた人々に謝罪してほしいという思いを手放さなくてはなりません。

その一方で、自分が意図的に不愉快な体験をさせてきた人たちには、謝らなくてはなりません。

それと同時に、周囲の環境や状況、人々などを責めた自分を、許さなくてはなりません。

これらを行ったとき -人生の責任はすべて自分にあると自覚したとき- 私たちは、自分に不愉快な体験をさせた人々や世界を責めることで、自分自身を抑制すること -自分の生来の才能を内側に閉じ込め続けること- に終止符を打つことになります。

vol.2 まとめ

vol.2まできました。セドナメソッドと密接な関連があるというかセドナの上位互換的な事が書かれている気がしませんか?

ゲリーボーネルさんからの引用文です。

読んでみてピン!と来た人はピンとくるとおもいます。

管理人はこの文章を打ち込んでいるだけで・・・ただただ第三の眼が痛くて痛くて開きそうです。

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