清濁併せ呑む.com

親愛なる宇宙由来の魂(スターシード)へ

内なる葛藤を開放するための誘導瞑想CD「はじめに」を読んで vol.3

内なる葛藤を開放するための誘導瞑想CD「はじめに」を読んで vol.3

内なる葛藤を開放する「はじめに」を読んで vol.1~vol.3

あらゆる裁きを放棄する

外側の世界は、もし私たちが裁く意思を放棄しているならば、私たち自身を詳細に映し出してくれる鏡として機能してくれます。

裁きとは、社会的および自分自身の固定観念をもとに、良し悪しの判断、批判的な判断をすることであり、人生という旅をより安全で、よりよいものにしようとして私たちが日常的に行っている判断とは区別されるべきものです。

特定の色を他の色よりも好きだと思っても、それは裁きではありません。

それは単なる趣向に関する判断です。

ただし、もしあなたが、たとえば青が好きだとして、青以外の色をしたものを自分の体験の中からすべて排除しようと決めたとしたら、それはもはや通常の判断ではなく、裁きになってしまいます。

裁きは、たとえそれが誰に、また何に対するものであっても、すべてが本質的には自分に対する裁きです。

私たちは、私たち自身が知覚している現実しか持っていません。

これが唯一の、動かし難い事実です。

裁きを放棄すると、明晰な知覚が戻ってきます。

そしてそれは、人生で発生する物事に対するより素晴らしい反応を選択するために利用できる、様々な経路からのより多くの情報が入手可能になることでもあります。

内なる葛藤を手放しはじめるには、裁きを排除して自分自身を意欲的に観察する必要があります。

それを強い決意とともに、粘り強くつづけなくてはなりません。

自分を知ろうとする意欲がみなぎっていないならば、はじめても無駄なことです。

裁きを排除したこの自己観察は、だれにとっても決して容易な作業ではないはずです。

というのも、私たちはほぼ例外なく、様々な背景を持つ固定観念のセットを所持しているからです。

私たちが持つ固定観念の背景としては、次のようなものが挙げられます。

  • 両親に、どのように扱われたか
  • 兄弟・姉妹たちと、どのように交流したか。
  • 教師・その他の権威者たちに、どのように扱われたか
  • どのような社会的制約にどれほど捕らわれてきたか

日記をつけることが、裁きのない自己観察を行うための最良のテクニックです。

日記帳を常に持ち運ぶようにして、日常生活の中で直面する不愉快な出来事に対する自分の反応を逐一記録するといいでしょう。

押し込められていた内なる葛藤のエネルギーが放出されるにつれ、単純な記録が自分に関する真実を語る有意義な観察結果として光り輝くことになるでしょう。

必然的に、人生に対する見方が徐々に変化します。

それも忘れずに記録するようにしましょう。

意図と結果が完璧に一致した人生に向けて

特定の神秘グループ内のひとたちにとって、意図と結果は完璧に同じです。

それら神秘技能の熟練者たちにとって、意図は結果がなければ存在しないものであり、結果も意図がなければ存在しないものです。

これを実感しながら生きているひとたちは、苦労というものを知りません。

なぜならば、彼らが望むことは、そのまますんなりと現実になるからです。

彼らには、本当に行いたいことと実際に行っていること、あるいは本当にほしいものと実際に手に入れるもとの間の隙間がないのです。

このことを聞かされると、人々の多くは戸惑いを隠せません。

というのも、これだと望むことと実際に起こることの間にあるはずの「快適な」隙間がなくなってしまうことになるからです。

子供の頃の私たちは、自分の需要を特定することも、それを満たすことも、自分の保護者 -ほとんどの場合は両親- に任せっきりです。

そしてその結果として、私たちは彼らとの間に、互恵主義あるいは相互依存的な関係を築き上げます。

彼らは私たちの需要の面倒を見、私たちはかれらに条件付きの愛を与えます。

やがて私たちが大人になり、もしも理想的に物事が進んだとしたら、この関係は一生を通じて機能する親密な互恵関係へと成長します。

この種の親密な関係内において、私たちは自分が望むことと出現する結果の間の隙間を、快く受け入れることができます。

ただしこれは、本当に親密な関係内のことです。

私たちは家族から離れれば離れるほど、意図と結果の間の隙間を大目に見ることが困難になります。

この傾向は特に、職場において顕著に表れます。

上司や同僚の身振りなどの身体的な言語にあまり馴染んでいないために、彼らがそれを通じて伝えてくる繊細な情報を、よく理解できないことが多いからです。

結婚はまた別問題です。

この場合は、子供の頃に目撃した両親の関係と、彼らが意図と結果のあいだの隙間にどのように対処していたかの延長線上にあるのが通例であるからです。

内なる葛藤がなくなれば、どんなときにも今の瞬間の中で生きられるようになります。

そのときから、過去もなければ、未来もなくなります。

そして、意図した結果がいつでもそのままに出現するようになるのは、そのときからです。

内なる深い変化は、不確かな世の中で安全を感じたいがために追求すべきものではありません。

肉体を持つ霊的存在としての自分に関する、より深い知識の中へと自分を拡大したいと願って、この変化を求めて下さい。

意図と結果を一致させるには -本当にほしがっているものを手に入れるためには- あらゆる種類の欺きをやめなくてはなりません。

これには自己欺瞞、たとえば、自分が変わるのは、自分以外の誰かのためなのだという思い -自分の「変化」を与える見返りに、特定の関係の”安全”を受け取ろうとする行為- なども含まれます。

欺きは、どんなに正当化しようとしても、欺きでしかありません。

Return Top