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内なる葛藤を開放するための誘導瞑想CD「はじめに」を読んで vol.1

内なる葛藤を開放するための誘導瞑想CD「はじめに」を読んで vol.1

内なる葛藤を開放する

ゲリーボーネルさんが以前からセミナーなどでとにかく訴え続けていることが「内なる葛藤を開放する」という内容のようです。

内なる葛藤を開放するとは、セドナメソッドにおける

  • 承認欲求
  • 制御欲求
  • 生存欲求

これらと密接にからみあう重要な要素のように思えます。

ゲリーボーネルさんは内なる葛藤を開放することは、仕事や人生に関わる非常に大きな変化につながると言っています。

ゲリーボーネルさんの文章ってね・・・難解なんですよね。訳がものすごいわかりづらい。

ゲリーボーネルさんの文章の訳者と言えば大野百合子さんなんですが、大野百合子さんの責任でもないみたいです。

このわかりづらさ・・おそらくゲリーボーネルさんの意向である気がとてもします。

以下の文章はCDを聞く前にしっかり読んでみては?という内容の文章です。

わかりづらい・・・

はじめに

内なる葛藤を、日常の生活をあまり混乱させることなく効果的に手放すための、絶対的な公式は存在しません

そのいちばんの理由は、内なる葛藤を手放すメカニズムには個人差があるということです。

その際にわたしたちは、まったく同じテクニックを使うかもしれません。

葛藤を手放したときの実際の体験を語るとき、同じような言葉を使うことさえあるかもしれません

しかしながら、結局は個人が葛藤を開放する際に動かされるメカニズムは、その人個人独特のものなのです。

よって、わたしたちがここで提供するものは、内なる葛藤の開放を容易にするための総合的な指針であるということをご理解ください。

まず最初に、変化には混乱を引き起こす性質がある。ということを知っておくことが大切です。

内なる葛藤を手放すことは、誰にとっても、大きな変化を体験することにほかなりません。

そしてこれは、自分がどんな人間であるのか、ひいては、「自分はこの人生において何をしようとしているのか」を知ることができるようになるための変化です。

内なる葛藤を手放す作業を手放す作業をつづけていくうちに、わたしたちは嫌でも様々な変化を体験し、それに伴う様々な混乱に対処せざるを得なくなります。

よって、重要な変化-とりわけ、家族や仕事に大きな影響が及ぶ変化-の内容を予測する作業も大切になります。

この種の変化は、生き方そのものに影響が及ぶ根幹的な変化であり、わたしたちはそれに注意深く、思慮深く対処する必要があります。

あらゆる変化に関するポジティブな展望を維持することが望まれます。

それによって、もっとも好ましい結果がより容易にもたらされることになります。

最悪のシナリオだけに焦点を当てるのはやめましょう。

内なる葛藤による持続的な妨害を排除し、生来の明晰な知覚を取り戻すしたならば、自分がどんな人間であるのかに関する詳細な情報が、これまでには想像だにしなかった様々な経路を通じて、もたらされることになります。

人間の明晰な知覚には、時間と空間による制限を受けない直観的に知る能力と、物事の発生を前もって知る能力が備わっているからです。

このタイプの拡大した知覚は、生来の本能的な理解力と相まって、私達を深い安らぎの状態-自分が本当に必要とするものを、それが実際に必要となるはるか前に、しっかりと知っている状態-へと誘ってもくれます。

知覚が明晰であるとき、私達は差し迫った生存欲求とは無縁の存在になっているからです。

そのとき人生は、すばらしく単純なものに感じられるはずです。

人間とはどういう存在なのか

内側に深く根付いている葛藤を手放す作業を、確実に推し進めるためには、まず最初に、人間とはどういう存在なのかを理解しなくてはなりません。

もしもこれを知らなければ、ほんのすこし前に進んだ段階で、従来の快適な生き方から抜け出している自分に気づくやいなや、慌ててその”ぬるま湯”の中に舞い戻り、従来の生存技能を使い始めることになってしまいます。

このいわば行きつ戻りつのめまぐるしい変化には、過去の様々な挫折を思い起こさせ、自尊心を低下させるだけの効果しかありません。

ほとんどのひとたちは、自分たちが生存を計る能力と、より素晴らしい生き方を夢見る能力を併せ持っている理由を理解していません。

人間であるがゆえのこの二重性が、哲学や宗教を、さらには芸術、そして科学をも生み出してきました。

ただし、この世界の宗教も科学も、お互いを無視してきたために、人間がほかの動物たちと何故こんなにちがうのか、更には私達がなぜ地球上にいるのかさえ、まったく説明できずに今日に至っています。

もっとも、たとえこの2つが協力しあったとしても、かなりのところまでの探求は可能ですが、結局は妥当な説明には至れません。

というのも、宗教界も科学界も、人間がどのようにして存在するようになったのかを、本当は知らないでいるからです。

ただし、だからといって人間に関する真の知識によって、科学が突き止めた偉大な真実は、宗教が教える偉大な真理の価値が貶められるわけではありません。

それどころか、その正反対です。

自分がどんな存在であるかを知ったなら、そのとき私達はついに、宇宙の創造に関する科学的情報と、あらゆる宗教の中心にある教えを、ただしく理解できるようになるのです。

地球上に存在する生命の貴重さは、私達の理解能力を越えています。

これは、どんなに単純な構造の生命体にも当てはまることです。

ただし、私達人類はほかのどんな生命体とも違い、その一部がこの天体とはまったく別の場所からやってきました。

私達は二つの極めて異なったエネルギー形態が結びついたことの最終結果なのです。

私たちは、一面では進化を続ける哺乳類の動物であり、自分の生存と種の保存を計るために不可欠な本能的行動パターンを、しっかりと内側に刻み込んでいます。

それと同時に、わたしたちの別の一面は、天から降りてきた永遠に不変なる魂です。

これは、創造された瞬間から完全かつ完璧な生命エネルギー体であり、これを変質させることは、これを創造したパワーによってさえ行うことができません。

これら二つの極めて異なったエネルギー -哺乳類の動物と天からの存在- が一つの生命表現として活動している。

これが私たち人間なのです。

この種の二重性を持つ生命表現は、宇宙内のどこでも行われているわけではありません。

この意味で、わたしたちはこの宇宙内で極めて稀な存在なのです。

地球に住む人間以外の多彩な生命体に関しても同じことが言えます。

私たちは人間は魂として、つまり永遠に不変なる存在として、いくつもの始まりと終わりを、そして進化という変化の壮大さを、直に観察するために生きています。

永遠に不変なる存在にとって、進化は非常に馴染みの薄い現象です。

私たちに関するこの単純な事実 -人間は地上に生きる天から降りてきた存在であるということ- をしっかりと知ることは、まったくあたらしい人生を生き始めること -度重なる誕生と死の循環を通じて体験する変化の波を、まったく恐れないで生きられるようになること- にほかなりません。

ここまで まとめ

ここまで読んでみていかがでしたでしょうか。

永遠に不変なる存在にとっては「進化は非常に馴染みの薄い」んですね。言い換えれば宇宙も進化という体験に興味がある。進化ってなに?進化ってどんなの?たのしい?って感じてるのかもしれませんね。知らんけど。

なんかよくわからないのですが・・とりあえずこの地球という惑星は悪人の流刑地や刑務所のような場所では無い気がします。

割りと多いんですよね・・地球なんて刑務所で魂の修行をしにきたんだよ!って

本当のところはどうなんでしょうね。

エックハルト・トールというひとは「地球での体験を通して宇宙もたのしんでいる」となにかのDVDで言っていた気がします。

内なる葛藤を開放する「はじめに」を読んで vol.1~vol.3

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