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親愛なる宇宙由来の魂(スターシード)へ

誰の上にも立ちたくないし誰からも命令されたくない これからも

誰の上にも立ちたくないし誰からも命令されたくない  これからも

2020年 4月11日 書きたいから書いてみます。

社会に出てから割とすぐに感じてきたこと

誰からも命令されたくないし、かといって「誰の上にも立ちたくない」

とくに必要が無いのなら命令とかしたくないかも。←(命令するのきもちーですけどね、しかしながら違和感だけ残ったりして統合ワークしてます。)

丹田を鍛えてインナーチャイルドと向き合いまほら鍼灸院さんで宇宙鍼灸を受けてakikoさんのライブヒーリングを毎日受けてみた結果わかってきたこと。

「飽きた」んです。おそらく。よくわからないですが。

現場で上司的な者に「~~して!」って言われるだけで妙にカチーンと来たり。そんで統合ワークしたり。

よし。すっきりした

これも追記していくことになると思います。

って書いてみたら「自分が勘違いしてる?」って感じ始めました

うーん。一度はやってしまうとお聞きする・・これこそが「勘違い」なのでしょうか。

自信があるってどういうことだろう。わかんなくなってきました。いよいよこれわかんない。

丹田を鍛えてインナーチャイルドとしっかり向き合って、とにかく承認欲求を手放していくと・・・勘違いってしなくなるんじゃね?って思ってました。

徹底的な孤独。愛が腑に落ちるのはまだまだ先のようです。

単に独りよがりの文章か。と独善的な。狂ってるから仕方ないのかもしれないけど・・・・純粋さが足りないか?

日曜日に吉田神社さまへいってみようかな。気付きほしいです。はじめて気づきたいとおもいはじめています。

2020年 4月12日 きつい。恥ずかしい。自分を見ているようだ。自分と向き合うとき 

とにかく承認欲求が大きいことは確かです。まだまだ承認欲求がある。

これでは宇宙に還ろうにも還れません。まずしっかりと承認欲求を手放していこうと思います。

いろんなひとがいます。いろんなひとがいて当然なのです。

うわぁ・・このひと本気?と感じざるを得ないひとがいます。関わらなければ良いだけ。意識しなければよいだけ。しかしながら、そのひとにだけは何故か過剰反応してしまう。

「うわ・・狂ってる・・あたまがおかしい・・・でも悪いことは言ってない気がする・・このひとの承認欲求が大きいだけか」って。

気付きがありました。そのひとを見て「じぶんを見ている」んですね。

これに気付けたとき、きつかったです。でも、良い機会なので自分と向き合ってみようと思います。

「空」に気づけるにはまだまだ先のようです。

4月12日  世界の崩壊を望んでいたことがあります。以前は。←過去形

毎日のようにこう考えていたことを思い出しました。「核戦争がはじまってもよい。最初の一発は絶対に私の頭上で炸裂。すぐに逝けたら良い。その後地球上で核弾頭が飛び交い全人類が死滅することが条件」って 2012年あたりからほんの最近まで。

私は戦争中のいろんなグロい画像を見ています。ひと通り。ヒロシマ・ナガサキの画像もひと通りみてうんざりしていました。こころから核戦争なんてうんざり。それでも・・・毎日のようにそんなふうに考えていました。

「2020年 4月12日現在」は、そんなこと思ったこともありません。特に宇宙元旦からは。令和になってから・・・さいこー。って感じています。

書きたくなったから書いてみました。

追記:2020年 4月26日 よくわからないのですが、新月に意図すれば良いとヤンタラジローさんが言ってたので思いっきり新月に「新しい地球」を意図して、4月24日にコロナウィルスの収束をまほら鍼灸院さまにて統合してきました。よくわからないのですが、良いことありそうな4月26日の早朝です。良いことあればいいですね。しらんけど。ヤンタラジローさんの無料ウェビナーでの「課題」については以下のリンク先で詳細を書いています。

新月とウエサク満月「NEW EAERH」へ ヤンタラジローさんの「課題」無料ウェビナー 2020年4月23日

追記:4月14日 人類の葛藤の核は愛されていると感じたいという必要性

ゲリー・ボーネルさん著 アトランティスの叡智からの引用だと思います。書きたくなったから書いてみます。

一週間後あたりに読み返すとまた気付きがあるのだろうと思います。

  • 人類の葛藤の核は愛されていると感じたいという必要性です。
  • それは自分が正しくあろうとすることを通して表現されます。
  • このことを知るだけで、叡智への変容という錬金術が始まるのです。

ゲリー・ボーネルさんの文書って本当にわかりづらい。理解しづらい。

ゲリー・ボーネルさんって昭和じゃね?分離じゃね?って感じるのですが、一方でたましいを揺さぶる一節が多々見受けられちゃったりすると思います。

追記:4月22日 「勘違い」について

「勘違い」について書いていこうとおもいます。「勘違い」

高校生のころなんですが、知り合いにとても自信のある人物がいました。

その人物はことあるごとに「あいつ・・勘違いしてね?」って言ってた記憶があります。

その人物に認められたかった気がします。「勘違いしていない優秀な人物だ」と。

多くの宗教法人でも「勘違い」

いろいろ敏感体質なのもあって宗教法人を巡ってきました。ジプシーしてきました。天理教とかもとりあえず体験してきました。とりあえず。暇つぶしに。

みーんな「勘違い」してるなー。って。思ってましたし、今でもそう感じます。

でも、「勘違い」ってけっきょく、高校生の頃の記憶というか承認欲求に、古い承認欲求にいまだに縛られている気がしてなりません。というような気づきがありました。

「勘違い」は古い承認欲求だった。統合していきます。

シンプルに古い承認欲求。単純ですね。気付けると単純。統合したら良いだけ。

令和ってほんとうに良い時代ですねぇ。これからも令和最先端を生きていたいとおもいます。←(最先端?ひっかかりますねぇ。また次の機会に考えます。なんだろう)

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